「関係の綾なす意味」について考える
今日もぬくぬくの京都。特に上着は必要なかったかも。
この時期、こんなことあんまりないです。来週から冷えるのかな。
日曜日の学会シンポジウムで、偉い先生お二人に挟まれて、ただのおばちゃんだったわたし。
いわゆる、「関係の綾なす意味」というテーマだったので、偉い先生その1とお会いしたころのお話をしました。その先生とは、一時期、いろんなことを相談させていただいていたのですが、ここ30年近く接点がなく、今回、学会でお会いするのが不思議なご縁でした。
初めてその先生とお会いしたのは、学部3年生の時。偉い先生その1は、とっても偉い指導教官の右隣に座っておられて、文字通り右腕として君臨しておられました。
院生のわたしは、大学に行きたかったんだけど行けなくて。なんと、大学院にして不登校。
大学院の不登校なんて、自分は穀潰しだと自分を責め倒していた日々。
責める以外に生きる方法がなかった日々。
そんなある日、そのとっても偉い指導教官に、面と向かって
学校に来ない人は嫌いやねん
と言われて、ただ、うつむいて帰るしかなくて。
ひたすら暗黒でした。
そして、この頃わたしは、イニシャルケースを放棄しました。自分が、この子を担当しても良いのか、担当する資格があるのか、そんなこと考えていたら、ケースに行けなくなりました。その時、ケース担当先におられたのが、偉い先生その1でした。
偉い先生その1は、わたしを特に責めることもなく、その先生が代わりに担当してくれました。どれだけ救われたかわかりません。
ほんとうにしんどかった院生時代。とっても偉い指導教官に修論を見てもらったのは3回です。
ただただ、指導教官が怖かったから見てもらえない。そんな未熟な院生でした。
少し前に、その指導教官は亡くなったのですが、シンポジウムの朝、空を見上げて
先生、わたしは、院生時代のことをシンポジウムで話して、それで昇華してもいいのかなぁ
って尋ねてみたら、いつもの笑顔で(怖いけど、なぜかいつも笑顔なんですよね)
いやぁ、まだまだやで
と言われた気がしました。
そっか、と思って、自分の院生時代のことは昇華しないで、いましばらくこころの中に留めておくことにしました。もしかしたら、今は昇華の時期ではないかもしれないかな。
ただ、今回のご縁によって、わたしは、院生時代のことを振り返ることができ、改めて自分の臨床のスタート地点に立った気がしています。
さて、これから、わたしの臨床はどんな方向に進んでいくのか、これまでと方向性が変わっていくのか、それとも変わらずやっていくのか。なかなかに楽しみなことになってきました。